2022年51冊め
文章力のおかげで数時間で一気に読み切ってしまった。関係性で閉じたり開きすぎたりする人の感情の変化やいろんな社会問題が入れ子になったストーリー。私より年上の方が書いたんだろうなって思ったら、著者は1983年生まれ!!すごい!!
80ページ:それがなんであれ。受け取る側はいつも気づかないのだ。推測や想像では知りようがないから。自分が受け取ったものがなんなのか、それを手に入れるために誰かが引き換えに手放したものはなんなのか、だからその金がどんな光を帯び、どんなにおいを漂わせ、どれほどの重みを持つのか、決して知ることはできない。
113ページ:「私はお前を育てるために職場からなにから全部捨てた。他人の手に任せるのが不安で、一つ、また一つって諦めていったら、結局すべてを捨てることになった。私がお前をどうやって育てたかわかる?お前がすべてだと思って生きてきた。それなのにどうしてお前は事あるごとに私を失望させたり、悲しませたりできるんだい、わざとやってるのかい?」「わかってる、わかってるってば。母さんがどうやって私を育ててくれたか、よくわかってる。だからこうやって懸命に生きてるんじゃない。これ以上どうしろっていうの?」
207ページ:誰かの世話をすることの大変さ。自分じゃない誰かの面倒を見ることの難しさ。美しく高潔に見えるこういう仕事のひどさや厳しさを、私はもしかすると娘とあの子に教えたかったのかもしれない。あの子たちが本で読んだり、誰かに聞いたりして知るのではなく、実際に経験させようとしているのかもしれない。
十年後、二十年後に、こうやって私の面倒をみてくれと言いたいのではない。自身の老後を、若いうちはどうしても想像できないけれど必ずやってくるそのときを、一度でもいいから考えてもらいたい。今からでも責任と信頼を分かち合えるまともな相手を見つけてもらいたい。私がこの世を去るときに残していくのが心配と憂慮、後悔と恨みのような感情でないことを願うばかりだ。
2022年49冊め
数年前に新聞の書評で読んでからずっと読んでみたいと思っていた。佐世保で小6の女の子が同級生に殺害された事件の被害者のお兄ちゃんふたりの立場から書かれた本。
毎日新聞佐世保支局長だった被害者のお父さんの部下で、佐世保支局が初任地だった記者の方が著者。とにかく文章が読みやすかった。最近余裕や余白がなかったせいか本を読む時間が取れていなかったし、読みたい本を手に取っても「あれ?これって何だっけ?」って引っかかることが多くて、読み進めるのに時間がかかっていたけど、それが一切ないまま一気に読めて、そのことに驚いた。新聞記者の方の文章力ってすごい。
被害者の長兄が「僕」、次兄が「ぼく」として進んでいく家族の物語。私は長女だから「僕」の行動がわかるわかる…って思う部分がたくさんあったし、兄と妹との間に生まれた「ぼく」が自分の気持ちを自分の中に閉じ込めてしまう様子を私の妹に重ねて読んだりした。
「僕」も「ぼく」もお父さんも、乗り越えていくにも抱えたままでいるにも大きすぎる事件。事件後の被害者家族にもそれぞれの人生、生活があって、未成年の子どもたちは成長していく。TVや新聞で報じられるニュースの周りにたくさんの関係者がいることは当たり前のことなのに、なかなか想像することはできない。
御手洗家の方々が幸せでいてくれますようにって願う。